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七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よく話すんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。
学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴というと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。
八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませて食べる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、なぜなら赤(いちごジャム)やむらさき(ブルーベリージャム)が白いのに混ざるのがおもしろいから、あと、わざとちゃんと混ぜないで甘いところと甘くないところをつくる、生の食パンとか意味わからない、不味い、というようなことが延々と書いてあって、私はいたく感動した。ニコルソン・ベイカーみたいだ。徹底した脈絡のなさがすばらしくリアル。他者の価値観を一顧だにしない主観がなんてクール。
たぶん彼女は記憶と思考を選ぶことが、まだうまくできないのだ。それに抽象概念の操作にも慣れていない。だから頭の中を時間軸だけで切り取ったような文章を書いている。
これはすごくいい文章だよ、と私は言った。七五三なんか放っておいたっていいじゃない、ここはひとつ朝ごはんまででいこうよ、捨てちゃうのもったいないよ。私がそう提案すると、彼女は重々しくうなずいて、まあね、これ自分でもわりと気に入ってる、と言った。
でも彼女はそういう作文を書きつづけるにはいかないことをちゃんと知っていて、きれいにまとまった文章を作る方法を知りたがってもいた。だから私は作文を終わらせる方法を教えることにした。
あのさ、まず書くことを決めるじゃない、最初に。七五三とか。で、書くことの前とか後とかあるでしょう。七五三の日の朝ごはんみたいなこと。それはちょっと短くする。どうやって短くするかっていうと、八枚切りのパンを反りかえるまで焼いてから反対側もちょっとあぶって、それからバターをつけて、って書きたいところを、お父さんとお母さんと一緒にパンを食べました、って書くんだ。もちろんお母さんが起きてからよくわからない部屋着に着替えてそれから出かける格好になることの謎についてとか、お父さんのひげそりの音が変化に富んでいて魅力的だということとかは書かない。もっと省きたかったら、ただ「朝ごはんをすませて」、って書く。文いっこもいらない。
もっと短くしたかったら、と彼女は訊いた。私は彼女の真似をして重々しくうなずき、「支度をして家族みんなで家を出ました」って書くの、と言った。もっと、と彼女が言うので、神社の階段を登っているところから始めてもいい、と私は教えた。もちろん一日は朝起きたところからはじまる、でも作文では石段に足をかけたところからはじめてもいい、なんなら帰ってきたところからでもいい。
彼女はやはり重々しくうなずき、ありがとう、と言った。どういたしましてと私はこたえた。
でもそれはほんとうはつまらないことなのだ。誰かの要求にあわせて作文を刈りこむなんて、書く意味があることとないことをふるいわけるなんて、所定の枚数にきれいにおさめるなんて。思いついたことは思いついた順に全部書けばいいんだけどな、と思う。
"作文が終わらない - 傘をひらいて、空を (via kml)
"他人とうまく交わることも、ひとを押しのけて出ていくことも、言いたいことをいつでも言えることも、面と向かって反抗することも、ましてや愛を告白することもできなかったら。そういう人間にとって芸術は最後の砦に、唯一のサバイバルツールになりうる。それが音楽であろうが美術であろうが、ラップであろうがスクラップであろうが、作り続けること、手を動かし続けることで、ひととき救われる人生というのが、たしかにある。そうして僕がずっと追いかけてきて、これからも追いかけていくのはそういう種類の創作活動だけだし、そうでない芸術にはなんの興味もない。
「持たざるものの痛み」をわからない人間たちが美術館やテレビ局でブイブイ、井の中の蛙ごっこに興じているずっと外側で、暗闇にほのかにともるヒカリゴケのように、ひとりだけの宝物を紡いでいるひとたちがいる。その光はか弱いけれど、これからの行先を、踏み出すことを躊躇する足先を照らしてくれる、僕にとってはなにより貴重なランディングライト=滑走路の夜間照明だ。"
(出典: radicalkitsch)
"純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である。"
シモーヌ・ヴェイユ (via natsumoto)
(suite148から)
"純粋さが肥大化すると人生は生き辛くなる。大人の人生智や分別をインチキと決め付けて嫌悪し、この世界は欺瞞に溢れていると絶望することになる。そこからは恨みや嫉妬や攻撃心しか生まれてこない。時にその攻撃が他人だけでなく自分に向かってしまうことがある。"
乗り移り人生相談:【178】記憶の重荷は遅効性の毒のように効いてくる(前編) | BPnetビズカレッジ | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉 (via aimai)
ileftmyheartintokyo:Silence by a l e x . k on Flickr.
ふだん気にしていないけれど、ふとした瞬間に、ああやっぱり無理だなぁって思うことがある。
自分たちに都合のいい人は持ちあげて、その枠からはみでた人は槍玉にあげて。
その異常さに気がつかないのか、それとも、気がついていて一緒に笑うのか。
わからないけれど、気持ちがわるい。